樺太時代をいまに伝えるサハリン州立歴史博物館

サハリン州立歴史博物館
お立ち寄りスポット

サハリンに旅行に行ったら、必ず訪ねてほしいスポットがあります。

それは「サハリン州立歴史博物館(Сахалинский областной краеведческий музей)」です。

博物館のホームページはこちら

なぜなら、サハリンが樺太と呼ばれていた時代が確かにあったことをいまに伝えてくれる場所だからです。

館内の展示をざっと見ていきましょう。展示室は地下1階から2階までで、以下のテーマ別に分かれています。

サハリン州立歴史博物館の展示室は地下1階から2階まで

●地下1階
・地質学
・極東の海の生物

●1階
・サハリンの植物や動物
・古代文化と先住民族
・深海生物の世界
・特設展示会場

●2階
・サハリン島と千島列島の発見と開発
・ロシアの懲役徒刑地とされたサハリン
・戦前の時代(日本統治時代)から第二次世界大戦まで
・戦後期から現代のサハリン

まず地下1階です。

この階には、アンモナイトなどのサハリンの地質学資料や周辺の海洋に生息する動物たちの生態を解説する展示があります。古代動物や海龍の骨のレプリカなども。

この階には、アンモナイトなどのサハリンの地質学資料や周辺の海洋に生息する動物たちの生態を解説する展示があります

1階には、サハリンの動植物を展示するコーナーがあります。見学に来た地元の子供たちが海ガメを熱心にスケッチしていました。

見学に来た地元の子供たち
子供たちが海ガメを熱心にスケッチしていました

サハリンには珍しく貴重な蝶が多く生息しているそうで、日本の研究家もこの地をよく訪れています。チョウの研究家の朝日純一さんの『原色図鑑 サハリンの蝶』(北海道新聞社 1999)はサハリンの蝶類93種を収録しています。

チョウの研究家の朝日純一さんの『原色図鑑 サハリンの蝶』

1階には、サハリンの先住民族の展示もあります。サハリン南部や北海道、千島列島(クリル諸島)に住んでいたアイヌや、中部にいたトナカイを飼うウイルタ(オロッコ)やエヴェンキ、北部にいた狩猟民のニブフなどの衣服や生活道具、狩猟用具などがあります。

1階には、サハリンの先住民族の展示もあります

アイヌの衣装には動物の皮や植物の内皮、木綿などを素材にした3つのタイプがあるそうで、一目でわかる独特のデザインが魅力的です。この博物館は、日本統治時代の樺太庁博物館を継承しているため、南樺太に多く住んでいたアイヌの資料は、日本時代に蒐集されたものだと思われます。

南樺太に多く住んでいたアイヌの資料は、日本時代に蒐集されたものだと思われます

同館が収蔵する代表的なコレクションのひとつが、アイヌの挂甲(古代鎧)です(ただし、展示品はレプリカだそうです)。同館のウェブサイトによると「アゴヒゲアザラシ皮を利用して作った桂甲です。この桂甲は1930年代、多来加湖(ネフスコエ湖)付近に暮らしていたアイヌ村長の家で見つかりました」とあります。

同館が収蔵する代表的なコレクションのひとつが、アイヌの挂甲(古代鎧)です

サハリンに住んでいた先住民族たちにとって、非日常的な世界と交信し、ときに預言や神からのご託宣、治療などを行うシャーマンは大切な存在でした。これはサハリンの先住民族のみならず、北東アジアの女真族、モンゴル族などにも共通しています。

サハリンに住んでいた先住民族たちにとって世界と交信し、ときに預言や治療などを行うシャーマンは大切な存在

2階に上がると「サハリン島と千島列島の発見と開発」の部屋があります。時代は18世紀、日本人とロシア人がこの地域を探検しています。サハリンが島であることを最初に発見した間宮林蔵はロシアでも有名です。

2階に上がると「サハリン島と千島列島の発見と開発」の部屋があります

その後、ロシア船は交易を求めて日本近海に現れます。江戸幕府が下田でペリーとの交渉を通じて日米和親条約を締結した1854年の12月、ロシア使節海軍中将プチャーチンとの交渉の末、日露和親条約を調印しています。

ロシア使節海軍中将プチャーチンとの交渉の末、日露和親条約を調印しています

そして、この部屋は日露戦争後、1905年に南樺太を日本が領有してから敗戦に至る45年に至るまでの「日本時代」の展示です。当時の日本人の暮らしを物語る展示品がたくさんあります。

この部屋は日露戦争後、1905年に南樺太を日本が領有してから敗戦に至るまでの「日本時代」の展示です
時の日本人の暮らしを物語る展示品がたくさんあります

これは北緯50度の日ソ国境にあった標石のレプリカです。

北緯50度の日ソ国境にあった標石のレプリカ

裏面はロシア語です。

標石のレプリカ、裏面はロシア語です

サハリン北緯50度線の国境標石跡についてはこちら

これらの展示品が解説するように、1945年までは南樺太と千島列島、そして朝鮮半島は日本の領土でした。

博物館の威風堂々とした建物は、昭和12年(1937)に樺太庁博物館として建てられました。当時流行していた「帝冠様式」を採用したもので、建築家の貝塚良雄が設計しています。

博物館の威風堂々とした建物は、昭和12年に樺太庁博物館として建てられたもの

同館の沿革は、サハリン北部のロシア人の最初の居留地のひとつ、アレクサンドロフスク・サハリンスキーにあった国境警備所に1896年に設置された博物館から始まります。その後、1905年に南樺太が日本の勢力下になり、17年に旧博物館を開館。37年に現在の建物に移され、樺太庁博物館となります。

展示品は、樺太の動植物や鉱物、考古学、先住民族の民俗などの資料でしたが、日本の敗戦後の1946年にソ連の手に渡り、今日に至っています。

樺太庁博物館時代については、国立国会図書館デジタルコレクションの中に、日本が独自に蒐集した旧博物館の展示品などが解説される「樺太庁博物館案内」(昭和8年)があり、興味深い内容となっています。

「樺太庁博物館案内」(昭和8年)

現在ではサハリンの子供たちが郷土の自然や歴史を学ぶ教育施設となっています。サハリンの子供たちは、かつてサハリンの南半分が日本領であったことをここで学びます。日本の子供たちもぜひ一緒に学んでほしいですね。

サハリンの子供たちは、かつてサハリンの南半分が日本領であったことをここで学びます

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