世界で最もアクセスしにくいアニワ灯台の廃墟の美に驚嘆する

世界で最もアクセスしにくいアニワ灯台の廃墟の美に驚嘆する
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サハリンにはフォトジェニックな灯台がたくさんあります。サハリン周辺の海域では、夏の時期、濃霧が発生しやすいので、船の航行の安全のために、灯台は不可欠な存在でした。海流の強さや多数の岩礁の存在が、古来多くの船を悩ませていたのです。

サハリンにはフォトジェニックな灯台がたくさんあります

なかでもサハリン最南端のアニワ岬の先端にあるアニワ灯台(Маяк Анива)は、対岸の北海道稚内市からそう遠くない場所にありますが、実際には「世界で最もアクセスしにくい灯台のひとつ」といわれます。

サハリン最南端のアニワ岬の先端にあるアニワ灯台

アニワ灯台は宗谷海峡を見渡す岩の上に建っています。すでに現役の灯台ではありませんが、その孤高の姿は、岩礁と一体化し、まるで生き物のようにも見えます。この驚くべき景観は、廃墟の美学を厳かに体現しています。

アニワ灯台は宗谷海峡を見渡す岩の上に建っています

アニワ灯台はサハリンを代表する奇観のひとつであり、現地の観光局は以下のプロモーションビデオを制作しています。まずはご覧ください。

どうですか。行ってみたくなりませんか。ユジノサハリンスクにある地元旅行会社は、次のようなアニワ灯台を訪ねる日帰りのエクスカーションツアーを企画催行しています。

スケジュールは以下のようなものです。

AM8:00>>

ユジノサハリンスクから車で南へ出発。アニワ灯台に行くボートが出るノビコヴォ村に向かいます。距離は約120km、所要約2時間です。途中、2018年まで稚内との定期航路のあった港町のコルサコフを通過します。

その後、ロシアの天然ガス液化プラントがあるプリゴロドノエ港を抜け、アニワ湾を臨みながら車は走ります。

AM10:00>>

ノビコヴォ村到着。ボートに乗り込み、アニワ灯台に向かいます。距離は40kmほどです。道中、滝が落ちる美しい岩の近くで一時停泊します。その海域では、イルカやシャチ、アシカ、アザラシなどの海洋哺乳類の姿を見ることができるでしょう。

PM12:00>>

アニワ灯台に到着。

ノビコヴォ村からボートに乗り込み、アニワ灯台に向かいます

下船して灯台の中に入ります。

下船して灯台の中に入ります

灯台からはオホーツク海を見渡すことができます。

灯台からはオホーツク海を見渡すことができます

PM14:00>>

灯台を離れ、北方16kmに位置するムラモルニ岬(Мыс Мраморный)に向かいます。

PM15:00>>

ムラモルニ岬に上陸し、海岸沿いを歩きます。大理石の柱が並ぶ奇観が見られます。

※ムラモルニ岬についてはこちら

PM16:00>>

ノビコヴォ村に戻り、車に乗り替えてユジノサハリンスクに戻ります。

ところで、サハリンには主なもので11の灯台があるようです。実をいうと、そのうち7つは、サハリンが樺太と呼ばれた日本統治時代(1905~45年)に建設されたものでした。

サハリンには主なもので11の灯台があるようです

※Skahalin and the Kurils Modern Guidebook(Press Pass Publishing House 2017)P.46より

アニワ灯台は1939(昭和14)年10月に竣工しました。当時「中知床灯台」と呼ばれ、逓信省灯台局の三浦忍技手によって2年数カ月をかけて建設されました。周辺に資材を置く敷地のスペースがなく、約8km離れた海岸の空き地に基地を設け、そこから船で通い工事をしたそうです。三浦技手は、大阪港北突堤灯台の設計もした人物です。

灯台は岩礁の上に乗った高さ31m、地上2階、地下1階の楕円系平面の基部と、9層からなる灯塔で構成されています。灯台の地下には照明用のディーゼルエンジンとバッテリーが装備されていました。

当時「中知床灯台」と呼ばれ、逓信省灯台局の三浦忍技手によって建設されました

最大12人収容可能な居住区(3~5階)は、食堂や食品貯蔵庫、トイレ、通信機器室などがありました。戦後は1962年頃までソ連海軍が常駐していました。その後、灯台守の家族に任され、1990年代には原子力発電源から作業できるように再装備することで、2006年まで稼働していたのですが、無人化したことで、廃墟化していきます。灯台の外壁は剥離し、骨材や鉄筋が露わになっています。

2006年まで稼働していたのですが、無人化したことで、廃墟化していきます

2000年代に日本建築学会の研究者が現地を調査したところ、灯台内部に日本期の建具や便所タイル、換気口、暖房器具が残っていたそうですが、3階部分はソ連側が増築していました。

この日露共同調査に協力した現地の歴史研究者のイーゴリ・サマリーンさんによると、サハリンでは1980年代半ばのペレストロイカ以降、樺太時代の日本遺構を歴史文化遺産として保存、観光資源として利用するという考えが生まれたといいます。

当時、サハリン大学の歴史教師だった彼は、サハリンに残る日本遺構の調査を始めましたが、特に関心を持ったのが、日本の神社建築と灯台だったそうです。

「ロシア人である私にとって、日本の宗教施設のデザインはとても興味深いものでしたし、灯台というコンクリートの近代施設においても、日本的なユニークな特徴がそこかしこに見られ、面白かった」と彼は話します。なぜなら、そこには灯台勤務の人たちが寝起きする畳の間があったからです。

昨年秋、ロシアメディアが、アニワ灯台が近い将来改修のため閉鎖されると報じました。

現地に確認するかぎり、その動きはまだなさそうですが、近い将来、アニワ灯台のいまの姿を見納めの日が来るのだとしたら、複雑な思いがします。

※アニワ灯台についてはこちら

(写真・動画提供/サハリン観光局)

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