MONOCHROME-モノクローム寫眞「チェーホフが過ごしたサハリンの町」

MONOCHROME-モノクローム寫眞「チェーホフが過ごしたサハリンの町」
サハリン

かつてサハリンに在住していた中川善博さんのモノクロフォト紀行。今回は、ロシアの文豪チェーホフが過ごしたサハリン北部の町、アレクサンドロフスク・サハリンスキーを訪ねた話を紹介します。


東京で過ごした学生時代、来日したロシアの劇団による演劇を観る機会があった。

後にモスクワに滞在することになったとき、観劇には随分と足を運んだ。殊に、題名を聞いたことがあったチェーホフ作品の上演に関しては何度も足を運び、気に入った公演は繰り返して観たこともあった。『ワーニャ伯父さん』はよく覚えている。

『かもめ』、『三人姉妹』、『桜の園』、『ワーニャ伯父さん』というチェーホフの四大戯曲は広く知られていて、日本の演劇界でも取り上げられている。

劇作家として高名である他方、このチェーホフはなかなかに独特な人生を歩んでいる側面も在る。

※チェーホフについて

このチェーホフの独特な人生の頁に「サハリン」がある。

1890年、作家チェーホフが30歳であった頃、3カ月にも及ぶ長旅でサハリンを訪れ、大勢のサハリンにあった人達と対話し、現況を克明に調べ上げた。そして『サハリン島』という一冊を出版したのだ。

こうしたことから、「何とか機会を設けて、チェーホフがサハリンに上陸したアレクサンドロフスク・サハリンスキーを訪ねてみたい」と随分長い間にわたり思っていた。

その思いが果たせたのは、2017年9月だった。

古風な道標:アレクサンドロフスク・サハリンスキー

古風な道標:アレクサンドロフスク・サハリンスキー(2017.09.23)

ロシアでは「Александровск(アレクサンドロフスク)」という地名は複数在る。現存するのはペルミ州とサハリン州なのだが、過去にはアムール州(現べロゴルスク)やロストフ州(現シャフティ)にもあったそうだ。

「Александровск(アレクサンドロフスク)」という地名は「Александр(アレクサンドル)」という男性名に因むものだ。「アレクサンドル」と言えば、19世紀には「アレクサンドル」という皇帝が3人いた。それに因む地名なのであろう。

サハリンの「Александровск(アレクサンドロフスク)」は、他と区別するためにサハリンを示す形容詞を添え、「アレクサンドロフスク・サハリンスキー」と呼び習わされている。

1875年の「樺太・千島交換条約」でサハリンをロシア帝国が支配するようになるが、1881年に流刑地としてアレクサンドロフスクが開設され、その後はサハリンの行政の中心となって行った。そういう経緯から「サハリンで初めての〇〇」というようなモノが多くあるそうだ。

アレクサンドロフスクは、1946年まで、帝政期、ソ連時代を通じてサハリンの中心的な街であった。そういう経過から、現在のユジノサハリンスクに在る博物館や劇場は「アレクサンドロフスクにあったサハリン州の施設が移転した」という理解にロシアではなっている。故に「1946年頃を起点にすると勘定が合わない?」というような数字で「設立XX年」というようなことが広報されている場合もある。

※ユジノサハリンスクにあるサハリン州立歴史博物館は、実際には昭和12年(1937)に樺太庁博物館として建てられたものです。

アレクサンドロフスク・サハリンスキーはユジノサハリンスクから約560㎞北の日本海側に位置している。夜行列車でティモフスコエへ出て、バスに乗って辿り着くということになる。

ティモフスク駅に到着する<002Э>

ティモフスク駅に到着する<002Э>(2017.09.24)

ユジノサハリンスクの駅の窓口でパスポートを提示して乗車券を買い求め、券に記載される氏名に間違いが無いかを確認して、往路のバスの乗車券をバスの窓口で買い求めた記憶がある。そして復路のバスはアレクサンドロフスク・サハリンスキーに辿り着いて直ぐ、辺りに停車していたバスの窓口で買い求めたのだった。

路線バス:アレクサンドロフスク・サハリンスキー

路線バス:アレクサンドロフスク・サハリンスキー(2017.09.23)

アレクサンドロフスク・サハリンスキーからティモフスコエまでのバス乗車券

アレクサンドロフスク・サハリンスキーからティモフスコエまでのバス乗車券(2017.09.23)

2017年9月の話しではあるが、アレクサンドロフスク・サハリンスキーでは、従業員が他所に電話する際に漠然と「ガスチーニッツァ」(ホテル)と口にすれば話しが通ってしまうような様子だった。「実質的に街で唯一?」という感の宿を、事前に電話で御願いしておいて滞在した記憶がある。

チェーホフの事績に関連する19世紀末頃の様子が伝わる場所、20世紀の様々な歴史が伝わる場所が豊富で、散策して愉しかった。そしてタクシーを1000ルーブルでチャーターして町の公害も走らせたが、景色が素晴らしい場所もある。

金曜日の夜行列車で発って、土曜日に着いて泊まり、日曜日の夜行列車で復路に就いて月曜日朝に戻るというような形で、ユジノサハリンスクから往復した。この往復自体は便利でもない。そしてアレクサンドロフスク・サハリンスキーも便利で快適でもない町かもしれない。それで結果的に、自身としてはこの時の一回の訪問に終っているが、訪ねて好かった場所として記憶に残っている。

街の様子を写真で御紹介したい。写真の解説は、タイトルをクリックしてください。

19世紀末の村落?―アレクサンドロフスク・サハリンスキー

19世紀末の村落?―アレクサンドロフスク・サハリンスキー(2017.09.23)

チェーホフ通の建物:アレクサンドロフスク・サハリンスキー

チェーホフ通の建物:アレクサンドロフスク・サハリンスキー(2017.09.23)

「鳩の棲家」の様相を呈するレーニン広場脇の建物屋根:アレクサンドロフスク・サハリンスキー

「鳩の棲家」の様相を呈するレーニン広場脇の建物屋根:アレクサンドロフスク・サハリンスキー(2017.09.24)

ジョンキェル岬の灯台を望む:アレクサンドロフスク・サハリンスキー

ジョンキェル岬の灯台を望む:アレクサンドロフスク・サハリンスキー(2017.09.23)

“Три Брата”(トリ ブラター)=<三兄弟>の岩を望む:アレクサンドロフスク・サハリンスキー

“Три Брата”(トリ ブラター)=<三兄弟>の岩を望む:アレクサンドロフスク・サハリンスキー(2017.09.23)

「少年志願兵」のモニュメント

「少年志願兵」のモニュメント(2017.09.23)

生神女寺院:アレクサンドロフスク・サハリンスキー

生神女寺院:アレクサンドロフスク・サハリンスキー(2017.09.23)

郵便局の建物:アレクサンドロフスク・サハリンスキー

郵便局の建物:アレクサンドロフスク・サハリンスキー(2017.09.23)

レーニン像:アレクサンドロフスク・サハリンスキー

レーニン像:アレクサンドロフスク・サハリンスキー(2017.09.23)

レーニン像:アレクサンドロフスク・サハリンスキー

レーニン像:アレクサンドロフスク・サハリンスキー(2017.09.24)

A.P.チェーホフ像:アレクサンドロフスク・サハリンスキー

A.P.チェーホフ像:アレクサンドロフスク・サハリンスキー(2017.09.23)

(中川善博)

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