「アムールの奇跡」と呼ばれた壮大な鉄橋をご存じですか?
ハバロフスクには訪ねるべき歴史・文化的なスポットがいくつもありますが、アムール大橋(АМУРСКИЙ МОСТ)とそのたもとにあるアムール川鉄橋歴史博物館(МУЗЕЙ ИСТОРИИ АМУРСКОГО МОСТА)は絶対外せない場所です。
アムール大橋は、ハバロフスク市の西を南北に流れるアムール川を横断する鉄橋で、市内から約4kmの場所にあります。この橋が完成したのは1916年のことです。
この架橋は「アムールの奇跡」と呼ばれ、現在のロシアの5000ルーブル紙幣に描かれているほどです。
なぜこの橋が建設されなければならなかったかは、地図をみればわかります。ハバロフスクはアムール川によってモスクワからの陸路が断絶されていたからです。
ここでシベリア横断鉄道の歴史を簡単に振り返りましょう。
ハバロフスクが建市されたのは1858年のことです。当時モスクワからの鉄道はつながっておらず、ロシア人たちがこの極東の地に訪れるには、シベリアを延々馬車に乗って来て、アムール川上流から船に乗り換えて向かうか、サハリン西岸のアムール川河口から船で航行していくなどしかありませんでした。
1875年にモスクワからウラル山脈付近までの鉄道建設が始まりましたが、当初順調に進みませんでした。1890年、ロシア皇帝アレクサンドル3世は皇太子ニコライ(のちのニコライ2世)に極東巡行を命じました。まずは、ウラジオストクとハバロフスクを結ぶウスリー鉄道の着工を開始するためです。同鉄道は1898年に開通しました。
その頃にはモスクワからイルクーツクまでの鉄道は開通していましたが、ハバロフスクははるか先の東の果てにあります。そこで、先に清国領内を通過することで最短ルートとなる東清鉄道が建設されました。こうしてモスクワからウラジオストクまでを結ぶシベリア横断鉄道が開通したのは1903年7月のことです。
それから13年後の1916年にアムール大橋が開通し、シベリア横断鉄道はもうひとつのルートとしてハバロフスク経由でウラジオストクに向かうことになったのです。開通がこれほど遅れたのは、距離の問題もありましたが、アムール川を横断する鉄橋の建設が難しかったからです。
その歴史を解説してくれるのがアムール川鉄橋歴史博物館です。
2008年にロシア鉄道省極東鉄道支部よって開設された同館では、ウラジオストクとハバロフスクを結ぶ極東鉄道(旧ウスリー鉄道)の歴史を紹介しています。
特に詳しいのが、アムール鉄橋建設を紹介する部分です。
館内には建設当時の写真が数多く展示されています。川底に大きな筒を埋め込み、そこに労働者を送り込んで鉄橋の橋脚の基礎工事をする様子を展示する模型もあります。
アムール大橋開通から約80年後、鉄橋の老朽化が進んだため、イタリアの建設会社の参加で再建工事が始まりました。帝政時代からあった旧橋の橋台を拡張したうえ、その隣(上流側)に新たな橋を建設しました。開通したのは1999年10月で、両岸への陸橋および桟橋を含む橋の全長は約2.6kmです。自動車用道路は線路の上方に敷かれ、鉄道との2層式の自動車鉄道兼用橋になっています。これが第1期工事です。
翌年の2000年に旧橋は撤去されました。そして、2006年から09年にかけて新しい鉄道用単線鉄橋を架け直したのが、第2期工事です。これにより鉄道(単線)・道路併用橋と単線用鉄道橋が並ぶ現在の姿になりました。
工事の経緯をふまえると、上の写真が第1期工事中、下の写真が第2期工事中です。
ビフォア・アフターの比較図がこれです。いちばん右側が現在の設計図になります。
博物館の敷地内には、帝政時代の旧橋の残存部分(橋桁)が残されています。橋に上ることができて、そこからのアムール川の眺めは雄大です。
また、当時の鉄道車両がいくつか展示されています。この写真は、帝政時代に製造した、『エフィーム』と呼ばれるE3255型蒸気機関車です。第2次世界大戦中にソ連の設計に基づき米国のアメリカンロコモティブ社の工場で生産された機関車で、1944年から65年まで使用されたものです。
橋の対岸はユダヤ人自治州です。この橋のおかげでハバロフスクの輸送問題は大きく改善され、今日に至っているのです。
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