極東のユダヤ自治州、ビロビジャンへの日帰りツアーを紹介します

ユダヤ料理はハラールフードに似た宗教的な戒律があり、コーシャ料理と呼ばれます
ツアー

ハバロフスクから西へ約150kmの場所にユダヤ自治州の州都ビロビジャン(Биробиджан)という町があります。

ユダヤ自治州はソ連時代に政府がユダヤ人の居住地として定めた地域です。市内にはシナゴーグ(ユダヤ教会)やユダヤ民族の歴史を伝えるユダヤコミュニティセンター「フレイド」、郷土博物館などがあります。

ハバロフスクの旅行会社、ダリゲオツアー では、現地発ビロビジャンへの日帰りツアーを企画催行しています。

ハバロフスクからシベリア横断鉄道に乗って約2時間半でビロビジャン駅に到着します。現地ではユダヤ人ガイドが出迎えてくれ、このユニークな町の歴史を解説しながら案内してくれます。

訪問先は以下のようなスポットです。

まず1912年にシベリア横断鉄道の駅として建設されたビロビジャン駅です(当時は名前が違いました)。ホーム側にロシア語とイディッシュ語の駅名が併記されているのが特徴です。

杉原千畝が発給した「命のビザ」によりヨーロッパ在住のユダヤ人たちがロシア経由で日本に逃れる際にビロビジャンを通ったことから、2017年9月、駅に杉原千畝記念プレートが設置されています。

そして、駅前の広場。中心に立つユダヤ特有の7枝からなる燭台のメノラー(מְנֹרָה)は、ビロビジャン創建65周年に建てられたものです。

中心に立つユダヤ特有の7枝からなる燭台のメノラーは、ビロビジャン創建65周年に建てられたもの

馬車を引いてこの町に最初に来たユダヤ人入植者の記念像(Первым еврейским переселенцам)も同じ広場にあります。

馬車を引いてこの町に最初に来たユダヤ人入植者の記念像

この町の観光のハイライトは、ユダヤ人協会「フレイド」(Община Фрейд)とユダヤ教礼拝堂(シナゴーグ)です。

ユダヤ人協会「フレイドとユダヤ教礼拝堂(シナゴーグ)

1997年に創設されたフレイドは、自治州に住むユダヤ人の文化センターです。ユダヤ人文化を紹介し、海外のユダヤ人組織との交流を促進させるなど、幅広く活動しています。ユダヤの伝統的な祭りはここで行われ、数年おきにユダヤ音楽と踊りの国際フェスティバルが催されます。

建物の入口にユダヤ教の行事で用いられる角笛のショファーを吹く聖職者ラビの像が立ち、前庭にはホロコーストの慰霊碑があります。

前庭にはホロコーストの慰霊碑があります

シナゴーグには博物館(Музею синагоги) が併設されていて、ビロビジャンにおけるユダヤ文化や歴史的な文献、資料などを展示しています。

シナゴーグには博物館が併設されていて、ビロビジャンにおけるユダヤ文化や歴史的な文献、資料などが展示されている

ビロビジャンは数時間で歩いて回れるくらいの小さな町です。駅からまっすぐ伸びた通りの先にレーニン広場があり、その先にビラ川が流れています。この川は全長261kmに及ぶアムール川の支流で、ビロビジャンという地名はこの川に由来しています。

このツアーでは、ユダヤ料理のランチを体験します。

このツアーでは、ユダヤ料理のランチを体験します

ユダヤ料理には、イスラム教のハラールフードに似たいくつかの宗教的な戒律があり、「コーシャ料理」と呼ばれています。コーシャ料理はユダヤ教徒が食べてもよいとされる 「清浄な食品」のことです。

たとえば、牛や羊は食べてかまいませんが、豚や馬はNGです。また食肉処理にさまざまな規定があり、同じ料理に肉と乳製品は一緒に用いないという食べ合わせもそうです。

いくつかのメニューを簡単に紹介します。

このクラッカーのようなパンをマッツァ(Matzah)といいます。イースト菌を入れない無発酵パンです。このパンはユダヤ教三大祭りのひとつ「ペサハ(過越祭)」のとき食べます。

このクラッカーのようなパンをマッツァといいます。

マッツァの由来はユダヤ人の最初の歴史にまつわります。紀元前1300年頃、ユダヤ人はエジプトで奴隷となっていました。そこから民を引き連れ、「出エジプト」した立役者がモーゼです。ぺサハの日、ユダヤ人たちは苦難の歴史を忘れないよう出エジプトを祝います。当時、脱出のため「パンを発酵させる時間もないほど急いでいた」ということから無酵母パンのマッツァが食されるのです。

ラトケス(Latkes)は、細切りにしたジャガイモを焼いたハッシュポテトのような食べ物です。これもユダヤの伝統行事であるハヌカーの祭りで食べられます。聖油の奇跡にちなみ、この祭りの期間中は油を使った料理が好まれ、大量のオイルで炒められます。

ラトケスは、細切りにしたジャガイモを焼いたハッシュポテトのような食べ物

ツィメス(Tzimes)は、ユダヤの伝統的な甘いシチューで、ニンジンやプルーン、レーズンのドライフルーツでつくられます。牛肉を入れる場合もあるようです。ユダヤ教の新年の定番メニューです。

ツィメスは、ユダヤの伝統的な甘いシチューで、ユダヤ教の新年の定番メニューです

フォルシュマーク(forshmak)は、もともとロシア料理の前菜でもある炒めニシン料理だったものが、ドイツに住むユダヤ教徒の料理となったといわれます。黒パンの上にニシンやタマゴ、香草などをのせた軽食です。

フォルシュマークは、ロシア料理の炒めニシン料理が、ドイツに住むユダヤ教徒の料理となったといわれます

ハッラー(challah)は、ユダヤ教徒が安息日や祝祭日に食べるパンで、縄編み状の白パンが一般的です。パンの上にゴマがちりばめられています。

ハッラーは、ユダヤ教徒が安息日や祝祭日に食べるパン

ところで、ビロビジャンからモスクワまでの距離は8361kmで、時差は7時間もあります。

なぜモスクワから遠く離れた極東の地にユダヤ人が住む自治州があるかというと、それはソ連時代のスターリンによる民族政策のせいでした。いまでは公然の秘密ですが、スターリンや彼の側近たちは、ユダヤ人を信頼していなかったのです。

ソ連政府がユダヤ自治州を創設したのは、ユダヤ人をモスクワから離れた地域に移住させるためでした。1924年、ユダヤ人移住に適した場所を探すための調査団が組織され、極東にあるこの地域が適切であると判断され、1934年にユダヤ自治州はハバロフスク地方の一部として正式に創設されました。

その中心地であるビロビジャンにウクライナやベラルーシから最初のユダヤ人たちが到着したのは1928年でした。以後、彼らによって町の建設作業が始まりました。当時の人たちは、タイガの木々を切り倒し、切り株を抜き取り、沼を干拓するなど、困難の連続でした。そして、1937年に市制が敷かれると、ビロビジャンと命名されました。町の名前は、ビラ川ともうひとつのビジャン川に挟まれていたことから、そう名付けられました。

ユダヤ自治州の人口は現在、約16万人ですが、ロシアにおけるユダヤ人は年々減少しており、ここでも同様です。現在、この地に住むユダヤ人は人口の数パーセントにすぎません。

これは2016年にビロビジャンを訪れた日本人ツアーの様子を地元のテレビ局が報じたものです。

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