極東ロシアを今日の姿に変えたコサックの歴史と文化に触れる旅
極東ロシアの歴史や文化を理解するうえで欠かせないのがコサックという存在です。広大なシベリアを東進し、日本海に面した極東の地にロシア人が住むようになったのは、彼らの開拓精神とその歴史があるからです。
極東ロシアにおけるコサックの歴史は、ロシアの探検家でハバロフスクの地名にもなっているエロフェイ・ハバロフが、アムール川にたどり着きアルバジノ要塞を建てた1651年から始まります。17世紀には、最も勇敢なコサックだけが遠いシベリア・極東の開拓に取り組みました。
その後、多くのコサックがアムール川沿岸に移住を始めたのは1854年からでした。それまで現在のモンゴル国の北東にあるザバイカル地方にいたコサックたちは、ムラヴィヨフ・アムールスキー東シベリア総督に指導され、5回のアムール川遠征に参加。その後、この地域の開発に貢献しました。
1858年5月、ロシア帝国と当時の清国はアムール川に沿って国境線を画定するアイグン条約に調印しました。その後、12月29日にアムールコサック軍が組織されました。同年、1万4000人以上のコサックがザバイカル地方から極東へ移り住みました。
なかには約2000人の懲役囚や有罪判決を受けた軍人もいて、コサックに入隊しました。1916年になると、この地域で5万人以上のコサックが住んでいたといわれます。
当時コサックの主な任務は、アムール川とウスリー川沿岸の警備でした。彼らは家族と一緒に暮らしていましたから、生活を支えるために農業をしなければならなかったので、各地にコサック村が設立されました。
■コサック村のひとつ、カザケヴィチェボについてはこちら↓
ハバロフスク市内から車で40分ほど南東にザイムカと呼ばれるアムール川沿いの保養地があります。その近くにクラスノレチェンスコエ(Краснореченское)という村があり、コサックの歴史や伝統を伝えるスポット「アムールコサックの歴史、文化、伝統博物館(Музей истории, культуры и традиций амурского казачества)」があります。
2018年にオープンしたこちらの博物館には、コサックとその家族が暮らした日々の生活を伝える展示があります。当時のコサックが着ていた衣服や紅茶をいれるサモワールなどの茶器などいろいろです。
ロシア正教を信仰していたコサックたちが大切に所有していた宗教用具やイコン、十字架などもあります。
興味深いのは、19世紀から20世紀初頭に撮られたと思われるコサックの兵役や生活を伝える写真群です。
コサックによるアムール川開拓の歴史も解説されています。
彼らは畑を耕し、国境線の防衛も行う存在で、明治維新後、北海道開拓のために採用された屯田兵のモデルといえます。
博物館から車で5分ほどの場所に、コサックの生活文化を楽しみながら体験できるコテージがあります。
今日コサック村と呼ばれるクラスノレチェンスコエ村ベロヴォディエ地区には、ロシア正教会を中心に約20世帯の人々が住んでいます。彼らは事前に予約したツーリストのために、コサックダンスや歌で歓迎してくれます。
そして、ブリヌィなど伝統的なコサック料理をふるまってくれます。
希望者は、コサックが乗りこなした乗馬も体験できるそうです。
コサック村の体験ツアーを提供しているのは、イヴァン・ステカ(Иван Стека)さんです。彼はウスリーコサックのメンバーあり、伝統的なコサック文化を継承するためにこの地に移り住み、このコテージをつくりました。
日本からのツーリスト向けにコサック村の訪問ツアーを企画催行しているのは、本ニュースサイトでもおなじみのダリゲオツアーです。詳しくは同社にお問い合わせください。
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