杉原千畝の記念プレートがあるビロビジャン駅など、ハバロフスク近郊の鉄道駅4選
壮麗なハバロフスク駅の駅舎や、駅前広場に立つエロフェイ・ハバロフの銅像は、多くのガイドブックや旅行記で紹介されており、有名です。しかし、ハバロフスク近郊の駅にも、ユダヤ人の命を救った杉原千畝の記念プレートがあるビロビジャン駅など、日本とのゆかりや歴史的、デザイン的に特徴のある駅舎が少なからず残り、いまも列車の発着を見守っています。
そこで、ハバロフスク近郊にある以下の4つの鉄道駅を紹介したいと思います。
- ハバロフスク地方最古の赤レンガ駅舎:ホール(Хор)駅(ハバロフスク地方)
- 築80年を迎える木造3階建て駅舎:バラチャエフカ2(Волочаевка-2)駅(ユダヤ自治州)
- ローカル駅に残るスターリン建築:リトフコ(Литовко)駅(ハバロフスク地方)
- 杉原千畝の記念プレート:ビロビジャン(Биробиджан)駅(ユダヤ自治州)
■ハバロフスク地方最古の赤レンガ駅舎:ホール(Хор)駅(ハバロフスク地方)
ハバロフスクからシベリア鉄道を南に80kmほど行ったホールという町には、1903年に建設されたハバロフスク地方現役最古の駅舎がいまも使われています。ロシア鉄道によれば、極東ロシア全体の中でも最古の駅舎のひとつで、シベリア出兵時に日本軍による砲撃で駅舎が損傷したこともあったそうです。
人口1万人に満たない小さな町の玄関口で、長距離列車はほとんどが通過しますが、ハバロフスクからの近郊電車が1日4往復運転されています。2004年に大規模な改修工事が行われました。
町の市街側から見た駅舎。日本と異なり、ロシアでは鉄道の駅舎は線路側が「正面」で、街には背を向けるようにして建てられます。市街側には駅名の看板ひとつなく、通用門くらいしかありませんので、知らなければ駅とはわからないほど。
こちらが、線路側から見た駅舎「正面」です。屋根の上には、赤くポップな書体で駅名が表示されています。なお、ホールという地名は、ロシア語で「合唱団」「聖歌隊」を意味するХорと同じ綴りですが、実際には川の名前に由来しており、元をたどれば先住民の言葉なので、歌とは関係がありません。
築120年近い古い駅舎にふさわしく、質素な待合室にシックなシャンデリアがよく似合います。
■築80年を迎える木造3階建て駅舎:バラチャエフカ2(Волочаевка-2)駅(ユダヤ自治州)
ハバロフスクから列車でアムール川を渡ってしばらく行くと、シベリア鉄道とバム鉄道とをつなぐ支線が分岐します。分岐駅のバラチャエフカ2駅には、日本でも珍しいような木造3階建ての大きな駅舎が残り、いまでも使われています。正確な建築年は判明しませんでしたが、インターネットメディアによれば1940年前後のようです。
当時は鉄道建設などに囚人労働が広く使われていた時代で、バラチャエフカはその拠点のひとつでした。北国らしく、木造ながらも窓の少ない造りは、どことなく重苦しい雰囲気があります。
木造にしては大型の駅舎。昔の写真を見ると水色に塗られていた時代もあったようですが、現在は木目が黒ずんで、独特の風格ないし「凄み」が感じられるほど。
駅舎中央部の三角屋根部分。広い構内を見下ろすようにして、2階にはバルコニーもあります。極寒のハバロフスク周辺では木造駅舎自体が少なく、かつ年々建て替えが進んでいますので、いまとなっては貴重な存在です。
旅客列車は1日2往復しかありませんが、有人駅です。切符売り場は、朝と夕方の列車の発着に合わせて短時間だけ営業しているようです。
■ローカル駅に残るスターリン建築:リトフコ(Литовко)駅(ハバロフスク地方)
バラチャエフカ2駅から分岐してコムソモリスク・ナ・アムーレやバム鉄道に向かう路線では、数多くの貨物列車以外に、1日2往復の長距離旅客列車が運転されています。ハバロフスクから3時間半乗ると、列車はリトフコという駅に停まります。
この駅の見所は、ズバリ田舎版スターリン建築。スターリン建築というと、モスクワ大学やロシア外務省などモスクワの高層建築群を思い浮かべる人が多いかもしれませんが、人口2000人ほどのリトフコ村の玄関口であるこの駅の駅舎にも、スターリン様式が用いられています。
5階建ての尖塔を持つ大きな駅舎は、1930年代末、この路線が建設された時に建てられたものです。駅舎内には、切符売り場、駅事務所、郵便局、待合室、鉄道OB会が運営するミニ博物館などが入居しています。
リトフコは鉄道の保線の拠点で、沿線ではいまでも比較的大きな駅ですが、村の人口がもっと多かった頃には駅舎内にレストランや食品スーパーも入っていたそうです。村の玄関口として今以上に賑わっていたのかもしれません。
ウラジオストク発ソヴィエツカヤ・ガヴァニ行きの長距離列車でリトフコを目指します。ハバロフスクで一部の寝台車を切り離して短くなったものの、重連のディーゼル機関車が、郵便車、荷物車、二等寝台車(クペー)、三等寝台車(プラツカルト)、座席車、食堂車をつないだ長い編成を牽引します。
ハバロフスクから3時間半でリトフコに到着し、15分停車します。機関車のすぐ後ろの荷物車では、ウラジオストクやハバロフスクで積み込んだ大量の荷物を降ろす作業が行われていました。見たところ、野菜や飲料品、食品が多いようです。
2両目の郵便車です。同じように、都会からの郵便物が大量に降ろされていきます。封書から洗面台や家具まであらゆるものを積んできたようで、ホーム上にはドラム式洗濯機まで見えます。なぜ列車で運ぶのかといえば理由は簡単で、ハバロフスクとを結ぶ道路がないため、列車が唯一確実な生活物資の輸送手段になっているのです。
これがリトフコ駅舎。80年以上前、日本ではまだ戦前の頃の建築です。
リトフコ市街(駅前広場)側から見た駅舎。
旅客列車は1日2往復だけですが、有人駅です。切符売り場の掲示を見ると、昼間の営業のみならず、夜行列車の発着に合わせて深夜23:40~2:40まで窓口が営業しているようです。
■杉原千畝の記念プレート:ビロビジャン(Биробиджан)駅(ユダヤ自治州)
ハバロフスク地方のお隣、ユダヤ自治州の州都がビロビジャンです。人口8万人程度の小さな町ですが、シベリア鉄道の旅行紀ではロシア語とイディッシュ語を併記した駅名標がよく紹介されたりします。
ここで紹介したいのは、駅舎のハバロフスク寄りの側面に設置された、杉原千畝の記念プレート。ユダヤ自治州政府により、2017年に設置されました。日本語、ロシア語、イディッシュ語で、多くのユダヤ人の命を救った杉原氏のビザについて紹介されています。
シベリア鉄道の旅行記でもよく紹介される、ビロビジャンの駅舎。ホーム側の駅舎の壁には、イディッシュ語でも駅名が併記されています。ちなみに、ビロビジャンの地名の由来は、ビラ川とビジャン川というふたつの川の名で、元々はエヴェンキ語など先住民族の言葉から来ているようです。
記念プレートの全体像です。あまり目立たない場所ですが、駅舎のハバロフスク寄りの側面に貼り付けられています。プレートには、カウナスからシベリア鉄道を経て敦賀・神戸までの道のりが記されています。
これが日本語のプレートです。
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